第18回・日本人行脚(ももぞうさん)


ちょうど2年ぶりの再会だった。
前回、2003年9月に新宿で僕、ももぞうさん、虎さんの3人で「つけ麺→ゲイバー」へ行って以来の再会だ。
そもそものももぞうさんとのきっかけはこうだ。
2003年8月26日にメールボックスを開くと「第7回リアルきみおワールド」と件名の入ったメール来ていた。
開けてみると、「ももぞうさん」からの参加オファーだった、希望は「美味しラーメン」
聞いた事の無いお名前でしたが、最後の文に御本名が書いてありファンクラブ会員の○○さんであることが分かったた。
この○○さんはアテネ未登場でメールでのやりとりも初めての方だった。
そこで、新宿で僕、ももぞうさん、虎さんの3人で「つけ麺→ゲイバー」へ行ったのだ。

話を元に戻すが、初めて御会いした後、僕はボクシングのプロテストが決まらずわりとヒマをしていて、
ももぞうさんは「まだまだ東京で単身赴任を続ける」との事だったのので、
僕は「ならいつでもまた遊べるな」位に考えていた。ももぞうさんも同じ考えだったはずだ。
しかし、事態は急に動いた。10月にももぞうさんが関西へ帰る事が急に決まったのだ。
聞けば、1週間前に急遽決まった異動だったそうだ。
そこで、一度は再会の約束をした。
しかし、その後すぐ僕のプロテストも11月に決まった。
これからはスパーリングなどの対人練習も増えてくる為、僕一人で練習時間を決める訳にも行かず、
結局東京での再会が出来なくなった旨をメールした。
「今回は本当にごめんなさい。今度は私が京都に乗り込みます!!」と。
それに対して、ももぞうさんは
「本多様 メールありがとうございます。内容了解しました。
関西へは是非遊びに来てください。11月13日夢が実現されることを祈っております」
と温かいお言葉を返してくれた。

そして2004年の正月、掲示板に
「HONDASAN 日本人行脚「京都」お待ちしております。」とももぞうさんからオファーがあったが、
当時の僕の状況や安いツアーが出なくて、ずっと行けなかった。
今までも深夜高速バスで大阪や兵庫に行った事はある、帰りに京都を通るとももぞうさんの顔が浮かんでいた、
「ここにももぞうさんがいらっしゃるのだなぁ…」そう思いながらもタイミングが無かった。

そしてちょうど2年建った2005年9月、安いツアーが出た。
そして、ももぞうさんとの再会と大学院の論文ネタ集めも兼ねて、
ももぞうさんにオファーを出したところ、快諾して下さって今回の行脚が決まった。

2005年9月14日19時、京都タワー下で会ったももぞうさんは、全く変わっていなかった、
むしろ御自分の故郷に帰った事で若返った感じだ。


我々は、まず五条楽園という旧遊廓地帯(つまりは「ちょんの間」)を30分ほど歩いた(遊びは一切していません)。

その後、祇園、四条、三条と歩きで案内してもらい、

居酒屋に入り、再会の祝杯をあげた。
その際、私がお土産を持って来たら、ももぞうさんもワインを下さった(^^;)いや〜、申し訳無い(^^;)

「いや〜、ホント京都にいらっしゃるのを心待ちにしていましたよ〜(^^)」
と満面の笑みでおっしゃるももぞうさんを見て「行脚は良いなぁ〜」としみじみを思った。
まず、簡単にももぞうさんの紹介をさせてもらうと、御年38才、京都の山科出身で、
23年そこで暮らした後、半年だけ転勤で神奈川県の向ヶ丘遊園に短期滞在、
その後再び山科に戻り、結婚ののちに長岡京へ、そして2002年から1年間、鶴見に転勤、
そしてまた現在の長岡京に戻り現在にいたるそうだ。
「東京と京都の人の違いはありますか?」と聞くと
「京都は人なっつこいですね、反面、東京の人は自分の事で精一杯な感じの人が多かったかなぁ…」との事だった。
加えて、ハンドルネームの由来は「太って脇の下が胴体と二の腕に繋がってモモンガみたいなのでそこからももぞうにしました」とユニークなものだった。

本題に入るが、ももぞうさんはこの2年間、ほとんど変化が無かったそうだ。
でも、それ以前の話を聞くと、かなり行動派である事が分かった。
それに前回は気づかなかったが、ぽっちゃり系で「寝物語」の深沢そっくりのルックスのももぞうさんであるが、
明るい所でよく見ると凄い筋肉なのだ。
それもそのはず、ラグビー、ハンドボール、カヌーとずっと体育会系だったそうで、
今でも腕立てを欠かさないばかりか、御自宅にはマシンまでお持ちの気合いの入れようなのだ。
しかし「食べる楽しみに目覚めてから、腹だけはへこまなくてね(苦笑)」と言うももぞうさん。

話を戻すが、2001年に海で大怪我をして復活したり、高校生の頃に岡山で1人旅行中に車に乗せられてガソリン代を取られた話、
沖縄、四国、九州、北海道、軽井沢、房総と美味しを求めて旅をして来て、島根や鳥取などマニアックな場所にも行った事があるそうだ。
また、ケニア、カンボジアなどの危険地帯にも足を踏み入れたそうだ。
いや〜、かなり深い人生を送って来た方だ。

柳沢きみおファンになったきっかけは「『翔んだカップル』、そして『羽なしティンカーベル』。好きな作品は『DINO』」というももぞうさん。
しかし「昔は心に響く言葉が多かったのに、今はイマイチ…」と柳沢きみお作品の現状を嘆くももぞうさんであった。
それでも、今でも柳沢熱は醒めていないらしく
「単行本も楽しみにしているし、滋賀に住む後輩などに柳沢きみお大全集への投票を頼んだり、周りに柳沢を薦めたりしていますよ」と嬉しい言葉も聞けた。

再会の喜びと柳沢トークですっかり盛り上がった我々は、

「ももぞうさんから虎さんへのメッセージ」を撮影した後、

居酒屋を出て、先斗町を歩いてその夜は別れたのだが

何と15日、16日と毎日会ってしまった。

これは行脚でも初の事だ。
今年の3月、ムタさんと御会いした時に当初は連続で御会いする予定だったが、
飛行機が取れず1泊になって結局実現出来なかったので、今回が初だったのだ。

15日は、前の日よりは短かめに会い、16日は御地元の長岡京と長岡天満宮を車で案内して頂いた。
今回の行脚は何から何までお世話になりっぱなしだったが「また2年後になるかもしれないから」と言って会社を早く切り上げてまで僕との時間を作ってくれたももぞうさんに感謝の気持ちで一杯だ。
本当に本当に有難うございました。

また、必ず京都に行きます、今後ともよろしくお願い致します。

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